実りの秋、収穫の秋、食欲の秋、冬支度

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紅葉が遅いながらも、栗や柿、イチジクなどが実っています。
ふと子供の頃を思い出しました。
高校時代、日本史の教師に「はなさんのところは靴より下駄や草履の似合うところだ。」といつもからかわれていた私は、それくらいド田舎で育ちました。結婚したとき、虎ちゃんが「時代が10年違うね」と言ったくらい、ド田舎です。今では、そのド田舎の人たちが「さぎ草王国」を建国して、里山を保全し稀少生物を保護して、コウノトリの来る稲作をしています。ときどき新聞に記事が載ると嬉しくなります。

 そんなド田舎の私たちにとって、実りの秋は冬に備えて、おやつの備蓄時でした。学校から帰ると山に行って、柴栗のイガを集めてきます。家の背戸にそれを置いて、雨の日には足と鎌を上手に使って栗を取り出します。取り出した栗は祖母がゆでてくれました。その栗を糸でネックレスのようにつなぎます。形が数珠ににているので数珠栗といいました。軒先にずらりと吊された数珠栗は乾燥してカチンカチンになります。こうなったら賞味期限などありません^^
 家の背戸には大栗の木もありました。姉弟は朝早く競って栗の実を拾い、それぞれの砂を入れた植木鉢に埋め込みました。栗は生でも火を通してでも食べられますが、生のそのまま食べるとやや味が薄いのですが、しばらく砂に埋めておくと甘みが出てくるのです。

 柿もしかりです。甘柿は毎日のおやつでしたが、渋柿は重宝でした。かなり赤くなった物は土蔵に並べておき、囲炉裏のそばではったい粉とまぜてたべました。囲炉裏の火で柿を焼いて食べることもありました。中くらいに黄色くなった物は、一晩お湯につけたり、しばらく焼酎に漬けたりして渋抜きをしました。
 とにかく柿の実はてっぺんに木守の実一つだけを残して全部もぎました。上手にへたの根元の枝が突いている物は皮を剥いてつるし柿にします。
 そして、青い青い柿は塩柿にしました。この塩柿、私はふるさとを出てから一度も食べたことはありません。桶に入れて塩水の中で冬の冷たい雪の中に置くのです。歯ごたえがあってあっさりしているあの味は忘れられません。でも今の私にも作ることはできません。先日、寝たきりの母にその話をしたら、「海の水と同じ塩加減だよ」と答えてくれました。
 塩柿はひんやりとした冷たさの中で渋味がぬけるので、決して取るときも手を入れてはなりませんでした。人間の手の温もりを感じさせてはいけないので、必ず専用のしゃもじですくい上げていました。
 その他にも芋などいろいろと懐かしい想い出ですが、母や祖母は大変だったのでしょうね。

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この記事へのコメント

2010年10月19日 19:08
こんばんわ。
幼いころのおやつって今みたいなものではなかったけど
なぜか美味しかったですね。
栗を糸に通して干したのとかも覚えています。
柿は大量に皮をむいて軒下に干してあって
手が届かなくて竿で取ってこっそり食べたり
していました。
2010年10月20日 13:03
風華さん
そうなんですよね。
布遊びも、私はパッチワークのキルトで敷物をぼちぼち作ろうと思っているのですが、考えて見れば買えば早い話です。
昔のおやつにも、季節感と手作りの味があったような気がしますね。
2010年10月20日 19:23
実りの秋ですねぇ
あゆ民は祖父と実家の木になった柿を取って焼酎付けにしてましたよ。
祖父がいなくなってからはしなくなりましたが・・・。
渋柿を焼酎で甘くしたり干し柿を作ったり楽しい思い出がいっぱいあります。
幸せな時間だったなぁ
秋には焼酎付けの柿を近所の方に配って歩くのもあゆ民の楽しみでした。
最近はそう言うご近所付き合いもなくなりました。
あゆ民を可愛がってくれたご近所のお爺ちゃん・お婆ちゃんがいなくなって。。。
小さい頃のようなご近所付き合いが子供にも安心できる環境なのにって思ってしまいます。
周りの方に見守られて子供達が育つ環境を願っています。
2010年10月21日 04:15
あゆ民さん
焼酎で渋抜きをして・・・良い想い出ですね。
私はあの「塩柿」を残したいと思うのですが、柿の木もなく手間もなく・・・

今は地域の教育力が落ちているのが実感です。
でも、私は新しい素敵な時代を目指して活動していきたいです^^
夢を持って行きましょう^^

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