感謝


 異常な事件や災害の中で,ミニトマトがたくさん採れたとか、キャベツを収穫したとか書くのも気が引けるが、…。
昨日、小虎ちゃんの県では学校は休校だったそうだ。でも親の仕事は休みではない。心配だが、県をまたぐ移動は気が引ける。コロナのせいもある。下手に移動して菌を移動させたら大変だ。それが見えないだけに怖い。
 知り合いが熊本にいる。テレビのニュースに釘付けだ。これも、下手に連絡をすると迷惑をかけるかもと心配してテレビをのぞいている。

 骨皮筋エ門(ほねかわすじえもん)となった夫も、体力がなくなっている。本人は一生懸命に食べてはいるが、体重が全く増えない。昨日法事でみんなに会ったら「がんばって栄養のあるものを食べさせなさい」と言われたが、ううむ、食べさせていないつもりではないのだ(T_T)。
 その夫は、今日も時間があると畑の草取りに出かけている。テレビも面白くないので、黙々と畑の草取りをしているのが心安まるらしい。お陰でこの梅雨の時期に、なんとか畑らしくなっている。

 思えば,結婚したばかりのとき、全くお金のない私達夫婦だったが、昔の人達は舅夫婦の世話は長男夫婦がするのが当然と思っていた。

 私は親に,金のない父親に、「大学まで行かせてもらったのだから、嫁入り道具はいらない。結婚してから必要なものは自分で買うから」と言った。大学だって私も姉も地元の国立校に行って、特別奨学金とアルバイトだけで生活した。特別奨学資金は、テストを受けて合格すれば、無返納の奨学金をもらえる制度だった。条件は、卒業後の仕事だった。これも試験はあったが公務員だった。私も姉も無事に合格した。私達は二人で自炊下宿して、農家の親からは米だけ送ってもらった。節約のため、昼は弁当を持って行った。時間のないときはご飯だけでも詰めていった。学生協では、昼食におかずのみは「45円」だった(笑)。なんだかつまらない昔話を書いているのは、やっぱり死期が間近なのかしら。懐かしい話だが、そんな時代だったのだろう。姉は小さな田舎村で初めて4年の大学に行った女性だった。「女に学問はいらない」「4年の大学に行った女など、嫁の行き手がない」とか、いろいろ言われた。
 本当は、父も若い頃進学したかったらしい。その時、「百姓の長男が何で学校に行く」と地域の名士などから止められたという。姉は昔の国立一期校にも合格していたが「女を出すなんて」と言う言葉に地元の大学にすすんた。 でも、息子には一生懸命仕送りしたけど、そんな時代だったのだろう。コタロは9年間大学に行って博士となったが、確かに本人の力がなくてはできなかったことではあるが,親も大変ではあった。彼は進学するとき、放射能ではないエネルギーの研究を選んだ。そして、その新しい会社の責任者となりつつある。それは私が臨んだことでもあった。そして、9年間大学にいて卒業するときには素敵な彼女を見つけていた。
 スポーツで秀でていたコジローは、中学でいろいろと大変だったが、彼なりに順調に高校に進学し,近くの公立大学に進学した。夫はその大学の保護者会の役員となったがそれもご縁だったのだろう。コジロもまた卒業と同時にすてきな伴侶を手に入れ、今では小虎ちゃんをはじめ、3児のパパである。
 本当に有り難い。 




"感謝" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント