ビアノ

 私が子供のころ、ピアノはとても貴重なものだった。東京に行って成功した祖父の兄弟が、地元の分校に縦ピアノを寄付してくれた。それまで分校にはオルガンしかなかった。ピアノは普通は鍵がかかっていて、誰でも気軽に触れるものではなかった。私はとてもピアノに触りたかった。
 中学校になって私は合唱部に入った。とても熱心な先生だった。ある日校内の合唱大会で、私のクラスにはピアノを弾ける人がいなかった。学年にたった一人の人は隣のクラスだった。とはいえ、彼女も独学ではあったのだけどよく頑張っていた。先生は、私に伴奏をするように言われた。理由は、私が楽譜を読めると言うことだけだった。それから私は夕食後に蛍光灯を持って分校に通った。ピアノを弾かせてもらうためだった。
 私は大学でオーケストラに参加していた。朝から晩までバイオリンを弾いて、1年生でファーストバイオリン奏者になった。大学の裏のブロックになぜか1カ所壊れているところがあった。其れが音楽の個室練習部屋のところだった。私達は大学が開く前に、そこから入って早朝から練習した。時々、針金で修理されるのだが,また壊されていて個室の音楽室に入る絶好の入り口だった。曲の中に「エロイカ(英雄)」があったのは今も覚えている。全楽章アカペラで言える。当時1年生の私は一生懸命だった。

 大学を卒業して、すぐに私は夫と結婚した。父に「親に何も返せないから、嫁入り道具は何もいらない」と言った。大学卒業と共に就職も決まっていた私は、必要なものはこれから自分が働いたお金で買おうと思っていた。しかし、父は私のためにピアノを買ってくれた。「おまえにはこれだけは、やりたい」と言って。専業農家で現金収入の全くない我が家で、父はピアノの月賦のために知り合いの土建屋さんで働いた。雪の日に大学から帰るとき、道路で工事をしていた父の姿が今でも忘れられない(前にも書いたけれど)。

 余計なことだけれど、その時の楽器屋さん。妹のためのピアノなら姉にもピアノをと、強力に売り込んだ。姉はお見合いで旧士族の家に嫁ぐことになっていたので、父は断り切れずにもう一台ピアノを買った。これは今思っても悔しい。結局、親に大きな負担をかけてしまった。そんなピアノをあまり弾かずに飾ってある我が家。老後はもう一度ピアノを弾こうと思っている。私は今年、ピアノもバイオリンも別の楽器屋さんとご縁があった。豊かな老後生活を送りたいところだが、最近は畑に染まっている。最も主にやっているのは夫なのだが(^^;)

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