サツマイモから、思い出

 私の実家には、子供の頃「いろり」があった。今はその上に床をはってリビングになっている。
 子供の頃、座る場所が決まっていた。父はいつも、囲炉裏の薪置き場の横だった。もっぱら父がいろりに火をくべていた。父が座っている場所の下は籾殻が入れてある穴蔵だった。そこには、秋にできた籾殻を入れてあった。そして、その籾殻の中には収獲した「さつまいも」が入れてあった。そうして、サツマイモは次の歳にサツマイモを収穫するまで、籾殻の中にあったのだ。必要なときには、そこからサツマイモをとって食べていた。
 今思えば、サツマイモには暖かいところが良かったのだろう。そう言えば、その後芋掘りをしたとき、近所のお婆ちゃんから「新聞紙に包んでテレビの後ろに置くと、次の年まで大丈夫だよ」と聞いたこともある。でも、今のTVはブラウン管ではないので、普通の家ではどうしたら良いのだろうか。良い方法があったら教えて欲しい。

 それにしても、私が子供の頃はなんと遅れた生活をしていたのだろう。
 社宅暮らしだった夫とは、10年は遅れていたかも知れない。しかし、今ではとても懐かしく思い出す。
 当時はみんな囲炉裏の周りに座って生活していた。そんな懐かしいいろいろなこと…。
 
 今は1年中いろいろなおやつが手に入る。しかし、私の田舎では、秋になると冬の備えをするのに大変だった。今は実の残った柿の木を冬でも見かけることがあるが、私達は、秋には祖母と全部の柿の木の実をもいだ。「柿守りの実」を1つだけ木に残して。甘柿はそうして塾柿になるまで、蔵の床に並べてあった。熟した物から私達のおやつになった。渋柿も実を1つだけ残して全部もいだ。柔らかさによって処置が違っていたような気がする。比較的甘い物は、一晩で渋抜きをする方法があった。まだ青い物は、干し柿にするのだが、これにもいろいろとあった。アルコールで渋抜きする方法も、風呂の残りの湯気を利用して渋抜きする方法も。中でも覚えているのは「塩柿」だ。
 今は「塩柿」を知っている人に会ったことがない。冬、桶に入れた塩水の中に柿が入っていた。桶は寒い戸外にあり、秋に漬けて食べ始めたのは2月くらいだったろうか。堅くて塩味がして、かりかりと独特の歯ごたえだった。母は「海の水と同じ塩加減」と言ったことがある。柿をとるのに、温かい手を入れてはいけないと、しゃもじで柿をすくっていた。今では、そうして冬のおやつを確保していたんだと思う。
 柿だけでなく栗もそうだった。背戸の大栗を拾って、砂の植木鉢に埋めた。これはどんどん甘くなった。もちろん秋には山で柴栗をとってきて、ゆでて軒先にぶら下げて数珠栗にした。
 今ではいつでもコンビニでおやつを買えるのだからそんな必要はない。冬のおやつのために干しいもも作っていたような…。もうそんなことは良いか(^^;)

 夫は、子供時代の私の生活は夫とは10年昔だったねと言う。本当は、実年齢では同い年で、彼が月上なのだけれど(>_<)。そっか。分かる。

 私は、自然と一緒に生きてきた子供の頃の生活は、とても楽しかったと思っている。それを、これからぼちぼち、記録して残したいと思うときがあるが、今さら余計なことかなあ。

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