とりとめもないこと

 コロナのせいで、真に中途半端な日々を送っている。今は私はお姫様になって、何でも夫がしてくれているが、昔はそうでもなかった。お持ち帰りの仕事で夜忙しい私のために、夫がコーヒーを入れようとしたら姑が飛んできた。「コーヒーは私が入れる」と。今では何でもしてくれる夫であるが、姑がいなくなるまで何もしなかった。
 私はかなり若いときに結婚した。夫と同じ仕事をして、夫と同じ給料をもらっていた。今思うと、毎日生きていくのに一生懸命だった。姑と小姑は、同じ敷地内に並んで家を建てていた。姑は「私は歳をとったら○子に見てもらうつもりだったから」と、口癖のように言っていた。そして、毎日我が家に来ていた。子供のおむつ1枚も洗ってもらったことはない。
 姑の兄である○○教のおじさんも、近くに○○教の大教会があるので、帰りに毎日我が家に寄っていた。そして、舅は半身不随だった。
 姑は、おじさんと小姑(儀姉)の言うことをいつも聞いていた。儀姉は、私が働いているので経済的には豊かなのだと思っていたようで、姑の年金はすべて姑の小遣いだった。夫が「母の世話は私が見る」と儀姉に言ったそうなので、私は何も言わなかった。というより、私は若くて何も知らなかったので、こんなものなのかと思っていたのだった。本当に,今思うと何も知らなかった。
 なんだか思い出したくない。儀姉に言われて全額借金で、2世帯住む家を建てた。当時、頭金もなかった私のために実姉が「しばらく使わないから」と貸してくれた。それを知った儀姉は「すぐに返しなさい」といって、自分の舅さんからそのお金を借りてきた。家のローンがやっと終わったとき,息子達が大学に入ったので、私の給料はそちらに流れた。………もうやめておこう。あの頃の私は、何も知らなかった。今,子供達は申し分なく育って、お嫁さんのご両親にもかわいがられている。6人の孫達も立派に育っていることに、心から感謝している。
 退職するまで社宅暮らしをしていた姑は、点数や学歴を大切にした。あるとき、姑はコタロに「テストで100点とったら100円あげる」と言った。すると,コタロは「僕は婆ちゃんのために勉強するのではない。」と言って断ったので、私はホッとした。姑とは、確かに価値観は違っていたけれど、一度も喧嘩をしたことはない。彼女は彼女なりに一生懸命だったのだろう。
 数少ない専業農家で育った私と、社宅暮らしだった夫の一家とはいろいろと価値観が異なっていた。百姓だった祖母は米をとても大切にした。米粒がトイレに落ちていても拾うんじゃないかと思ったくらい、米は大切だった。結婚してご飯の後片付けをするとき、釜についたご飯粒を拾っていたら、舅から「そんな貧乏くさいことをするな」と言われて驚いたこともある。
 
 なんだかつまらないことを書いてしまった。中途半端な日々の中で,どうでも良いことを書いている。 


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント