秋雄の場合 その1

 秋雄は、小さいときからとても器用で頭脳も優秀だった。秋雄を見ていると「天は2物を与えず」なんて誰が言ったかと思えてくる。文武両道で、スポーツも万能だった秋雄は某体育大学を卒業し、一流企業に就職をした。 両親はそこそこの資産を持っていたので、長男の秋雄が結婚したときには、新居にと家を建てて与えた。

 40代の秋雄は、会社でも重要なポジションを得て、まさに働き盛りだった。 専業主婦の妻は家事に子育てにと精を出し、1男1女の2人の子供も成長し、長男は大学生となった。 両親はすでに亡くなっており、その財産も秋雄が受け継いでいる。 誰が見ても絵に描いたような恵まれた家庭だった。

 ある日、会社から帰宅する途中秋雄はふと考えた。 自分の人生はこれで良いのだろうか。 子育ては完全に妻に任せて、自分も一生懸命働いていた。子供が成長して家から離れた今、気がつくと夫婦二人の生活になっていた。
 最近の妻はゆったりと自分の人生を楽しんでいる。 趣味のサークルに参加したり、気の合う友人と旅行したり、食事をしたりしている。そんな妻を見ながら、秋雄は自分自身の人生が何だか味気ない物に見えてきた。
 これはいったい何だろう。ここまで順調にレールの上を走ってきた秋雄にとって、ふと芽生えた不安はみるみる大きくなっていった。
 秋雄は、妻にそんな思いを話してみた。すると・・・・、妻は怪訝そうに首をかしげた。考えてみれば、今までそんなことを妻と話したことがあっただろうか。それまで仕事人間だった秋雄は妻と無駄な対話をしている時間はなかった。 子供が産まれてからは、妻はいつも子供の方を向いていた。 今まで一緒に生きていたと思ったのは錯覚だったのか。妻と秋雄は、今では確実に異なる価値観の世界に住んでいた。 秋雄の人生に対する思いは、妻に受け止められることはなかった。
 それを知った瞬間、秋雄には今の生活が苦痛になった。 妻といることが苦痛になったのだ。 その思いもまた、秋雄の中でどんどんふくれあがっていった。 
 
 ついに、秋雄は着の身着のままで家を出た。長男の秋雄の全財産をそのままにして・・・。すべて妻に残したまま。 当座の預金で、妻も生活できるだろう。この家や財産はいずれは自分の子供達に継がれる物だからと秋雄は、自分自身の人生を探したくて家を出た。 

 秋雄は会社も退職して、身一つで隣の県に行った。 海をみたかったのだ。秋雄の県には海がない。子供の頃から、年に数回見る海は大好きだった。海がみえると、わくわくと心躍ったものだった。 まずは海を見に行こう。それから、これからのことを考えよう。

 秋雄は今、海を見ている。夫婦で営んでいるレストラン喫茶で、海を見ながらコーヒーを飲んでいる。  

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この記事へのコメント

2012年09月26日 23:11
秋雄の気持ちわかります。
そして、そんな時に海をみたくなるのも!
2012年09月27日 07:05
精兵衛さん
いらっしゃいませ。
何不自由ない生活をしている優秀な人が、突然すべての生活をなげうって家を出たことに思いを馳せました。

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