わらべ唄2 餓死の話

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遠野地方に伝わるわらべ唄は、鎌倉時代より昔からずっときちんと伝えられていた物で、「わらべ」とは子供ではなくて民衆だという意味です。当時、文字を書けない民衆が、生きるために大切な子育てや生き方について、一言一句違うことなく語り継がられてきたということです。
現在は77歳の阿部ヤエさんという人がついでおられて、次はそのお孫さんが継ぐ準備をしているそうです。
飢饉や災害から力強く立ち上がる東北地方に根強く受け継がれているものです。
今回の震災のことなどもあると考えさせられます。
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10年間園ぐるみでわらべ唄による子育てをしている保育園に勤務して、わらべ唄の力の素晴らしさを知った友人は、毎年、機会があるとヤエさんの所に出かけていろいろと話を聞いています。
私は8年ほど前に、とある勉強会で数日間彼女と隣の席になりました。それ以来意気投合してしまいました。
是非、彼女の話を直接に若いお母さんに伝えたくて、こちらに来てくれることをお願いしました。
気持ちよく応じてくれた彼女は、とても1度では語りきれないからと8回の計画を立てて、今回はそのうちの5回目です。
私としては体調を崩しているなんて言っていられません(T_T)

彼女はとても私を心配してくれました。
そして、ヤエさんから聞いた「餓死の話」をしてくれました。
「年貢のコメをひとつまみだけ盗んで、餓死に備えておく。
食べ物がなくなったときには、その少しのコメを大きな鍋の中にいれて、後はたくさんの水でたいておく。
その汁を毎朝1杯だけ飲んで命をながらえる。
その米の汁がある限り命をつなぐことができる。
その汁がなくなるまでに、次の方法がみつからないときは餓死をしてしまう。
米には命を育てる霊力があるのだ。
神様はそのひとつまみの米を盗むことは、眼をつぶって許してくださる」
簡単に言うとそんな話でした。
何かを口に入れなければと麺類を食べていた私に、彼女はその話をして米を食べるよう勧めてくれました。

夕食には早速1合の米で重湯もどきのおかゆを作りました。
そして、汁だけをすすりました。
吐き気がなく、胃痛も治まったようです。
起きがけの腹痛もあまりひどくありませんでした。
朝には、汁がかなり減って米粒もぱらぱらと見えてきたので、温めて米粒を食べました。
それもうまく行ったので、昼は残った物に卵を入れていただきました。
夜は、その残りに、柔らかな刺身の寿司をいくつか食べました。
夕食後は姑の相手をしながら、しばらく放置していた冷蔵庫の中を始末しました。
まだ完全な体調ではありませんが、胃潰瘍などの胃腸系には、うどんよりおかゆがお勧めです。
みるみる元気になりつつあります。

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